薄片とは

教育


私の研究室では、薄片を作ることができないとそもそも卒業研究をはじめることができない

🙂

初年度の卒論生のときは、切断機がなかったので薄片作成に大変不自由したものだが、初年度の学生さんはそれでも頑張ってくれた。
現在はハルツォックの切断機を導入したので、比較的効率良く薄片作成ができるようになりました。
卒業論文を執筆するためには、少なくとも30枚くらいは良い状態の薄片を作成し、観察して欲しいところである。
ただ、学生達にとっては、それが大変負担なようです。
せっかく理科サブコースに来たのだから、何かをとことん突き詰めて考えたという経験は教員になった際に活かせると思うのだが。
理科サブコースのアドミッションポリシーでは、学校における理科教育のリーダー的存在を輩出することを唄っているわけなので、卒論は自ら問題意識をもって取り組む姿勢でないと、困るのだけど・・・
実際には、薄片を作ることすら大変負担と口にする学生さんが少なからず見られるため、少しびっくりしてます。

🙄

私自身を振り返ると、大学に入った頃には数学や理論物理に興味があったのだけど、だんだん抽象的な数理の世界で自分が創造的な仕事をすることができる気がしなくなり、
思い切って地質学講座に飛び込んで、当時京都大学で教鞭をとっておられた森先生の岩石学の授業を受けてはじめて薄片というものを見た。
それ以来、その美しさに魅了されてきたような気がする。
ただの石ころを薄くスライスして光を通すだけで、下のように美しい万華鏡のように見えるなんて、非常に驚き感動したものだ。

また時には不思議な模様が出てきたりもする。

卒業論文でオフィオライトのカンラン岩の研究を行ったのも、なるべく干渉色の高い鉱物を見たいと考えたからだ。
薄片を作成すると、そこには未知の世界が拡がっているように感じたものである。
私はここにくるまで理学部の学生を対象としてきたので、自発的に物事を考える人が多かった。
比較すると、教育学部の学生は受け身な人が多く、彼らに興味をもっていただくには少し違ったアプローチが必要なのかもしれない。
あまり結論を急がず気長に頑張る必要があるのかもしれません。


もし、学部生以外で興味をもって自発的に実験をしてくれる学生や市民の方に出会えたら、大変嬉しいのだけれど...
万華鏡はアートとして親しまれているようなので、岩石薄片もアートとして売り出した方がよいのかしら

🤔

最近、美術科の先生が岩石を覗きに来てくれるので、相談してみようかな...


2022年7月1日22:41